●お知らせ/2020年9月1日●
『かつて映画館であった元映画館の外壁に "栗原一成" が絵を描いていった、企画。』
約30年前に閉館した映画館をリノベーションしたスペース元映画館(荒川区三河島)。2019年12月から2020年4月にかけて、この元映画館があるビルの1Fから2Fに続く外壁に制作していた栗原一成の壁画『元映画館‐ポロポロ壁画』が完成しております。
しかし、前代未聞の新型コロナウイルスの登場により、壁画の公開、また本壁画に端を発した 栗原一成"個展" と "速玉展"(変更/後日リリース)の企画展覧会を、当初予定した状態での開催が難しいという判断に至り、大変残念ではありますが苦渋の選択として延期から中止へと決断することになりました。
※壁画の残存予定期間は2020年9月末迄となります。ただし、前述の通り壁画鑑賞についても公開を中止いたしました。公開延期の上、同施設の改修工事があり壁画付近へ資材等が積まれているため鑑賞自体が難しい状況にあります。公開を楽しみにしてくださった皆様には深くお詫び申し上げます。心苦しい想いでは御座いますが何卒ご理解いただけますよう、宜しくお願い申し上げます。
ギャラリアン アスカヤマとしても前代未聞の展開が長く続く企画となりました。今回のご報告に合わせて、栗原の壁画制作を追って撮影してきたダイジェスト・ムービー①~③を公開いたします。
現場で描画する栗原を眺めていると「有史以前、3万2千年前のフランスとスペイン辺りの洞窟にホモサピエンスは壁画を描画していた…」こと等もチラホラと頭をよぎったりしました。
美術家と支持体の間合い、その関係性、自身の肉体を酷使して壁画を描画する様子等、普段は見ることが出来ない一瞬一瞬が詰まったムービーとなります。この機会に、ぜひ、本動画をご覧くださいませ。
●ご注意など●
○壁画は2020年4月の時点で完成していましたが、緊急事態宣言等を鑑みリリース配信を控えておりました。
○本動画は予告なしに非公開となる場合がございます。
GALLERYAN ASUKAYAMA
岡本政博
栗原一成 元映画館‐ポロポロ壁画
Digest Movie ①~③/3
Issei Kurihara POP UP Mural
※本壁画に関連した展覧会は中止となります。
(速玉展のみ延期/会場変更)
会期:5月9日(土)ー5月16日(土)
会場:元映画館(会場はかつて映画館だった飲食店併設の複合施設です)
116-0014 荒川区東日暮里3丁目31―18旭ビル2F
TEL 03-5604-5957
※入場無料/フード・ドリンク有料
OPEN:2部構成(会期中無休)
昼の部 11:00-15:00/LO 14:30
夜の部 17:00-21:00/LO 20:30
アクセス:JR常磐線三河島駅徒歩5分、JR山手線日暮里駅徒歩15分
企画 : GALLERYAN ASUKAYAMA
○オープニングトーク
日時:2020年5月9日(土)18:00〜
ゲスト堀浩哉(美術家)× 栗原一成(画家)
※定員は設けていません。
○オープニングレセプション
日時:2020年5月9日(土)トーク終了後21:00迄
○クロージングパフォーマンス
日時:2020年5月16日(土)13:00-15:00
栗原一成×ゲストの皆様
○会期中は元映画館内「CafeBar銀幕」のマスターである美術料理作家:BARRが本展の為に考案するフードやドリンク類(¥500~/昼・夜 各メニュー有)が用意されています。フードが盛られる容器は本展に合わせて栗原がデザインします。
また栗原が直接描画する銀幕・ユニフォームも必見です!
※会期中は元映画館スクリーンにポロポロ壁画の制作風景が映し出されます。
※現段階で記載が無いものについても開催状況が変更になる場合がありますのでご了承ください。 ※会場や展覧会に関する詳細や最新情報は弊廊WEB、及びSNS上でご案内します。
〇2020年9月(詳細:近日公開)には、
O JUN氏、石田尚志氏、栗原一成の“速玉”展の開催を予定しています。
かつて映画館であったこの場所は、スクリーンだけは残して、映画館という役割を終えてから30年近く経っている。そして、もうその当時の活気や、そこで放たれていた光りは消えてしまった。だがしかし、逆に映画館という形が無くなったことで、いままで何十年ものあいだ壁や床や天井に染み込んだ純化された大気や光りが、四方八方から滲み出てきている気がする。ぼくは、その建物の外壁に絵を描くことになった。そしてその壁に「ポロポロ壁画」と名付けたのだ。
ポロポロとは、ぼくが田中小実昌の小説から影響を受けた言葉である。小説「ポロポロ」では、少年であった小実昌から見た牧師をしていた父の人物像が描かれている。その父は、自分の信仰に疑いを持ち異言というお祈りをある日はじめたらしく、小実昌にとってそのお祈りは、ポロポロといった言葉にしたくなるものだった。一般的に言われている異言とは、言葉にもならないような、自分がいったこともない遠い国の言語で語っていく、そういったお祈りである。だけど小実昌は、ポロポロを次のように捉えている。「だいたい、ポロポロをやっていると、うしろはふりかえらないようだ。うちの教会では、ポロポロを受ける、と言う。しかし、受けるだけで、持っちゃいけない。いけないというより、ポロポロは持てないのだ。ー中略ーポロポロは宗教経験でさえない。経験は身につき、残るが、ポロポロはのこらない。」
そうか、そうなのだ。ぼくの絵の在り方、描く行為も、こうでなくてはならない。ぼくはそもそも絵のなかに形を残したいと思ってない。形を残そうとしないことが、本質的に形を描くことになる。それを西田幾多郎の逆限定的な論理に当てはめれば、「残そうとしないことと、残ること、まったく逆の性質のもの同士が、片方だけが働くのではなく、両方同時にその働きを起こす」ということである。
残さないことと、残ることが一緒のもの、別の言葉で言うならば、形を持たず、形を持つもの、そう、それは大気や光りのことなのだ。
大気や光りを描くこと。ぼくの欲求はそこにある。
2020年3月11日 栗原一成